その他 2021.5.31
焼き物界の革命家 美濃焼を探ってみよう!
食器類の生産量が全国トップで、シェアの約60%を占めている『美濃焼』。
どうやってここまで大きくなったのか、技術やデザインまで謎は多いままです。
今回は焼き物界に革命を起こしたと言われる、美濃焼の歴史、特徴についてご紹介します。
1.1300年の歴史にタイムスリップしてみよう
美濃焼には1300年の歴史があります。
長い歴史の中で美濃焼が生まれたきっかけやなぜ高い評価を受けたのかを、
過去にタイムスリップして、少しのぞいてみましょう。
1-1 古墳時代
古墳時代後期から奈良時代、岐阜県東濃地方では山の斜面を利用して造った、
地下式・半地下式の窖窯(あながま)で、
土器とは異なる硬質のやきもの「須恵器(すえき)」が焼かれました。
1-1-1 『須恵器(すえき)』の特徴
1.窯を使って1000℃以上の高温で焼成されている。
2.食料の保存や酒造りなどに主に使われていた。
3.灰色で、硬いうつわ。
1-2 平安時代
平安時代になると、「灰釉陶器(かいゆうとうき)」と呼ばれる新たな技術を取り入れた、
焼き物が誕生します。
1-2-1 「灰釉陶器(かいゆうとうき)」とは?
釉薬をかけた焼き物で、須恵器よりも耐水性のある灰釉陶器は食器や貯蔵容器として生産され、
貴族や寺社などでこぞって使われるようになりました。
その需要は東濃地方だけでは収まらず、全国へと広がりを見せていきます。
1-3 鎌倉時代~戦国時代
鎌倉時代に進んでいくと、釉薬をかけた『灰釉陶器』から、
庶民のうつわとして釉薬をかけない「山茶碗(やまぢゃわん)」という器に変わっていき、
室町時代にかけて生産されるようになりました。
戦国時代になると、地上式の大窯(おおがま)が考案され、
天目茶碗や全面に施釉された皿類、調理具、すり鉢三器種が中心に量産され、全国的に流通します。
1-4 安土桃山時代
安土・桃山時代には、「瀬戸黒(せとぐろ)」「黄瀬戸(きぜと)」「志野(しの)」「織部(おりべ)」
という独自開発の釉薬が生まれます。この釉の事をまとめて、『美濃桃山陶』と呼ばれました。
「美濃桃山陶」とは、茶の湯(茶道)でつかわれる陶器群です。
茶の湯は、織田信長により「正式な武家儀礼」となったのです。
その後、人々の、茶碗や茶器への関心もエスカレートしていきます。
信長の家臣の中には、 戦功として、一国の領地をもらうよりも、
小さな「名物茶入れ」を一つもらうほうがいいと思う人も現れました。
美濃桃山陶が開花したのは、まさにこの時です。
1-4-2 美濃桃山陶を詳しく調べてみよう!
・黄釉と銅絵の具タンバンの緑色が美しい『黄瀬戸』。※タンパンとは鉱物で、その成分は硫酸銅です。
・半筒で漆黒の茶碗『瀬戸黒』。※瀬戸黒の釉薬は鉄分を含んだ鉄釉です。
・鉄絵を描き、白色の釉をかけた『志野』。※ほのかな薄紅色と気泡状の肌が美しい釉薬です。
・緑釉を中心に斬新なデザインが多い『織部』の4つをまとめた美濃桃山陶は、
日本の焼き物に初めて色とデザインを加えました。それは華やかな時代を象徴するものであり、
今の美濃焼の代表的な焼き物です。
1-5 江戸時代
江戸時代になると、九州から連房式登窯(れんぼうしきのぼりがま)が導入されます。
初期には「織部(おりべ)」や「御深井(おふけ)」の茶道具が焼かれ、武将を中心に大流行しました。
連房式登窯では、茶道具の他に日用雑器を大量に生産しました。
これらの製品は江戸をはじめ、全国に流通していきました。
江戸時代後期には、陶器より硬くて白い磁器が登場します。陶石(とうせき)と呼ばれる原料を、
使用する九州の磁器に対して、瀬戸や美濃では蛙目粘土(がいろめねんど)に長石や珪石(けいせき)を
混ぜた土で、染付磁器(そめつけじき)が作られるようになりました。
1-5-2 蛙目粘土(がいろめねんど)とは?
釉薬調合には、欠かせない粘りけのある、つなぎの役割をする原料です。
1-6 生産日本一の革命のきっかけとなった明治時代~昭和時代
しかし、昭和にかけて衰退の危機に追い込まれていきます。
伝統を守るだけでなく、生きるために新しい道を模索しなければならなくなった陶工たちは、
日常雑器を焼くことを選び、その頃から普段使いしやすい磁器の技術に注目が集まりました。
さらに低コストを実現させるため、分業制度を導入し、
型紙摺絵(かたがみすりえ)や銅版転写(どうばんてんしゃ)などの、
加飾技法も開発されたことにより、やきもの生産量日本一の道を歩むきっかけとなりました。
1-6-2『型紙摺絵(かたがみすりえ)』とは?
「摺絵」とは型紙絵付を器に施す技法です。模様を透かし彫りした型紙を器面に当て、
上から絵の具を摺り込むことによって模様を施します。
詳しくはこちらから 多治見市美濃焼ミュージアム
http://www.tajimi-bunka.or.jp/minoyaki_museum/archives/4444
1-6-3『銅版転写(どうばんてんしゃ)』とは?
銅製の板に鉄筆で画線を刻んで呉須などの絵具を摺り込み、印刷機で印刷した紙を、
器面に貼って絵具を写す技法です。
詳しくはこちらから 多治見市美濃焼ミュージアム
http://www.tajimi-bunka.or.jp/minoyaki_museum/archives/digital/digital-2110
1-7 平成を越えて令和時代へ
そして、焼き物生産量日本一となった今、伝統の技を現代風にアレンジしたうつわや、古の技を深く追求したうつわなど、
今後、どんな新しい名のやきものが生み出されるのか、また、歴史はどう変化していくのか 。
美濃焼の新たな挑戦が、始まっています。
2. 多種多様な美濃焼をエリアごとに旅してみよう!
美濃焼の歴史に触れたところで美濃焼が作られている産地にも触れてみましょう。
さまざまな産地の特徴や陶磁器の種類について学んでみましょう。
2-1 多くの窯元が揃う!名陶が集まる産地 『多治見シティ』
現在でも多くの窯元が見られる多治見市。市内各地域の特性が焼き物づくりの伝統として受け継がれています。
桃山時代に茶の湯が流行すると、産地内で幾つもの特色がある焼き物が作られました。
なかでも織部焼は、千利休の弟子で、大胆・自由な気風の武将茶人・古田織部も好んだとされ、
斬新な色や形、文様の茶器などが多く作られました。多治見市では、こうした古田織部の精神を
活かしたまちづくりをすすめる「本町」「市ノ倉」「たかた・おなだ」の3つのオリベストリートがあります。
まちの風景を楽しみながら、美濃焼の魅力にふれてみませんか。
2-2 桃山陶から現代風なものまで幅広く揃う産地 『土岐シティ』
日本有数のやきものの産地として知られている土岐市。現在でも200を超える窯元が、
国内の陶磁器製品の多くを生産しており、昔ながらのレンガ造りの煙突が残る街並み、
窯跡や資料館、作陶体験が楽しめる場所など、やきものに触れるスポットが満載です。
美濃焼の歴史や伝統に触れながら、お気に入りの器を見つける旅に出かけてみませんか。
2-3 伝統と新感覚の融合⁉多彩な器を生み出す産地 『瑞浪シティ』
瑞浪市には、七世紀にまでさかのぼる焼きもの文化の歴史があります。
1000年以上の歴史を誇る瑞浪ならではの焼き物が「みずなみ焼」です。
古今と和洋が融合した独創的なデザインを生み出しています。
時を忘れて浸ることができる魅力が瑞浪市にはあります。
3.まとめ
いかがでしたでしょうか。美濃焼についての歴史を紐解いていきました。
この機会に、美濃焼に興味を持っていただければ嬉しいです。
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